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No.60 1990年式 フェラーリ F40

宍戸 孝光・宍戸 直子ペア

車両解説

 1987年にフェラーリが創業40周年を記念して発売したのがこのF40です。
 創始者であるエンツォ・フェラーリがその生涯の最後に同社の「そのままレースに出られる市販車」という車作りの基本理念を具現化した歴代フェラーリ生産車の中でも根強い人気を誇る車種であります。
 1987年7月21日にマラネロで開かれたこの車の発表会には当時89歳になるエンツォ・フェラーリ自身が出席し発表を行うという特別なものだったそうです。
 公証最高速度324km/hは当時の世界最速でした。……と、まあ、そんな話よりこのエンジン音を聴いてる方が良いですよね。

No.59 1990年式 三菱 デボネア

松枝 照明・千葉 久一ペア

車両解説

 1986年デボネアは初代モデルの登場から実に22年ぶりにフルモデルチェンジが行われデボネアVへと進化しました。
 このクラスではクラウンしかりセドリックしかりFRが一般的ですがこのクルマはFFです。おかげで広々とした室内を手に入れました。
 この独特なデザインが日本人の好みとは少しズレていたようで販売には結びつかなかったのですが、当時の三菱では最高クラスの豪華さを誇りまた途中からはドイツのチューナーであるAMGのエアロキットを組んだ「デボネアAMG」も追加されるなどマニアの中では記憶に残る1台です。

No.58 1989年式 ランボルギーニ カウンタック
アニバーサリー

斎藤 正人・斎藤 修子ペア

車両解説

 やっぱりカウンタックの存在感は凄いですね。ギャラリーのざわめき方が違います。
 1974年の登場以来改良を続けながら生産され、ランボルギーニ社の25周年を記念して登場したこのアニバーサリーが最終型になります。
 カウンタックという名前は日本独自の読み方でイタリア本国ではクンタッシ(Countach)という感じの読みとなりイタリア南部の方言で「驚き」を表す言葉だそうです。
 ということはもしこのクルマが岩手県久慈市小袖地方で生まれていたらランボルギーニ じぇじぇじぇ になって……いる訳ないですね。

No.57 1989年式 BMW 635CSi

三浦 一・三浦 美佐子ペア

車両解説

 6シリーズの3.5リッターエンジン搭載で635ですね。
 この車は『世界一美しいクーペ』と評され今なお愛好家が多い名車です。ボディの生産はドイツの名門カルマン社によるもので本当に美しいスタイルには惚れ惚れしちゃいますよね。
 1976年に登場したのち改良が重ねられまして、1987年のマイナーチェンジの際211馬力に引き上げられた3.5リッター直列6気筒DOHCを搭載されました。
 ビッグシックスエンジンから奏でられる上品なサウンドは素晴らしい!の一言です。

No.56 1989年式 ポルシェ 911スピードスター

菅野 健一・菅野 聖子ペア

車両解説

 911シリーズの2世代目のモデル通称930ボディですね。『ビッグバンパー』とも呼ばれ我々スーパーカーブームの世代には一番馴染みがあるモデルではないでしょうか。
 ただこのスピードスター資料が少ないんですよ。で、色々調べたらありました!麻宮先生の「彼女のカレラ」コミックス3巻!麻宮先生ありがとうございます!
 スピードスターは356シリーズの頃に誕生した伝説のモデルだったんですが1989年に930シリーズの最後を飾るモデルとして復活したんですね。
 生産台数は2,000台余り。ボディやブレーキは930ターボから流用、剛性も強くライトウエイトで爽快!それがこのスピードスターなんです。

No.55 1988年式 ダイムラー ダブルシックス

三浦 宏喜・照井 健悦ペア

車両解説

 1893年ドイツのダイムラーが開発したガソリンエンジンをイギリスで生産する目的で起業されたのがデイムラーです。
 なおデイムラー社とダイムラーとの関係はエンジンのみの契約でありそのほかの部分は直接ダイムラーとは関係はありませんでした。
 ちょうどその頃のちのイギリス国王エドワード7世は蒸気自動車を運転、初めて自動車を運転したイギリスの王族となりました。そして1900年にデイムラーが英国で初の王室御料車に指名されこれにならって各国の王室でもデイムラーを御料車として採用するようになりました。
 日本の皇室も1912年初の御料車にデイムラーを採用しています。

No.54 1991年式 ローバー ミニ メイフェアII
(※マセラティ ビトルボESから変更)

坂 浩幸・坂 由美子ペア

車両解説

 1959年のデビュー以来40年以上に渡って生産され英国を代表するクルマとして、またミッキーマウスの愛称で世界中から愛された名車です。
 この当時フィアット500やスバル360などリアエンジンでコンパクトなボディを持ったクルマはありましたが、フロントエンジンでこのサイズしかも大人4人がちゃんと乗れるのは画期的なことだったんです。
 ただこのクルマを取り巻く環境は波乱万丈でメーカーの名前もBMCからBLMC、BL、オースティンローバー、ローバーとコロコロ替わって行きます。

No.53 1987年式 ホンダ バラードスポーツCR-X Si

米森 賢・米森 宣子ペア

車両解説

 もう名前長いです!(笑)
 これも私が大好きなクルマ(注:アナウンス担当)でして、若い頃乗ってたんですよ、バラスポ。
 登場時から「エスの再来」とホンダファンに喝采をもって迎えられましたが、シビックをベースに徹底した軽量化で軽快な走りを手に入れる手法はむしろライバルのヨタハチに近いと言えるかも知れません。
 1984年に追加されたsiはエスハチ以来14年ぶりとなるDOHCエンジンを搭載。峠ではFF最速の称号を手に入れました。
 F1レースでの活躍もあってホンダが一番輝いていた時代の名車の一つです。

No.52 1985年式 日産 パルサー EXA コンバーチブル

鎌田 直榮・鎌田 みえ子ペア

車両解説

 日産初のFF車として登場したチェリー。その後継車としてデビューしたパルサーの2代目モデルN12型の2ドアクーペにはEXAというサブネームが付きました。
 先代のN10型パルサークーペが3ドアハッチバックであったのに対して、独立したトランクを持つ2ドアノッチバックに変貌。さらにリトラクタブルヘッドランプいわゆるスーパーカーライトを装備してパルサーとはイメージがガラリと変わりました。
 1983年には日本初となるドアミラーを採用し、未来的なスタイリングが人気を集めました。そして1985年には日産チェリー店発足15周年を記念してコンバーチブルが限定生産されたり数々の話題を振りまいた名車です。

No.51 1984年式 ルノー アルピーヌ A310 V6
フォーミュラパッケージ

三浦 力・三浦 美津子ペア

車両解説

 ラリーカーとして大活躍したA110の後継車として1971年にデビューしたのがA310です。
 当初はA110と同じ1600ccの4気筒エンジンを積んでいましたが、装備が豪華で居住性が良くなった分車体が重くA110ほどの動力性能は期待できませんでした。
 そこで1976年にポルシェ911をライバルに見据え2700ccエンジンを積んだA310V6が登場。911に引けを取らない動力性能と高い直進性による独自の操縦性、独特のV6サウンドで存在感を現しました。
 基本構成やスタイリングはこの後にデビューしたアルピーヌV6ターボやA610にまで受け継がれました。

No.50 1982年式 イノチェンティ ミニ デトマソ

是枝 正美・是枝 早苗ペア

車両解説

 1960年代半ば世界的に大人気となっていたイギリスのミニ・シリーズは海外でもノックダウン生産が始まりました。イタリアのイノチェンティもその1つです。
 当初はイギリスのミニと同じボディでしたが1974年ミニのプラットフォームを元にベルトーネが設計したハットバックボディを纏ったイノチェンティ90、及び120を導入。さらにターボエンジンを搭載したイノチェンティ ミニ デ・トマソをラインナップに加えます。
 日本に正規輸入はされませんでしたが本国版のミニの輸入が途絶えた後好んで相当数が輸入されたり、スポーティなイメージが好評だったためわが国でも知名度が高いんですよ。

No.49 1979年式 メルセデス・ベンツ 280CE

秋葉 流生・秋葉 功ペア

車両解説

 このW123系は当時のメルセデスのベストセラー車種であります。
 セダンの他リムジンのV123、ステーションワゴンのS123、そしてクーペのC123と豊富なバリエーションがあり1980年の販売台数はフォルクスワーゲン・ゴルフを上回る程でした。
 2ドアクーペはピラーレスハードトップというボディ形状でしてドアの後ろの柱がありません。その分ボディの強度が下がるのですがその辺はメルセデス、抜かりはありません。フロント・リヤのピラーやルーフを強化した構造で充分なボディ剛性を確保しております。

No.48 1979年式 いすゞ 117クーペ XG

菅谷 篤弘・菅谷 裕美子ペア

車両解説

 1968年に発売された117クーペはイタリアのジウジアーロがデザインした美しいスタイルと高性能なDOHCエンジンを搭載した名車です。
 その後ゼネラルモータースからの資金と技術の習得により機械によるプレス成型のめどが立ったことで1973年3月より量産化対応の改設計で生産されることになり、初期型の『アホみたいに値段が高い』という致命的な欠点が解消されました。
 パッと見はハンドメイドのモデルと大差無いのですが細部のデザインはかなりの部分に変更が加えられました。
 ちなみに日本で始めて電子制御インジェクションを搭載したのが117クーペなんです。

No.47 1984年式 ランボルギーニ カウンタック 5000S
(※フェラーリ 308GTBから変更)

手塚 勝也・手塚 立一ペア

車両解説

 もう、このクルマについては何をか云わんやですよね。スーパーカー小僧の永遠の憧れ!ザ・スーパーカーですよ。1982年からわずか323台のみが生産されたのがこの5000Sです。
 カウンタックのトレードマークといえば、ガルウィングドアでしょう。しかしそれは間違った言い方で正しくはシザードアという名称です。
 また、カウンタックでのバックをしながら駐車する際は室内から後方を確認できないためサイドドアを開きながら身体を半身出してバッグすることを「カウンタック・リバース」と呼ぶこともあります。

No.46 1975年式 メルセデス・ベンツ 450SE

誉田 雄司・菅野 健哉ペア

車両解説

 1972年に登場したW116はメルセデス・ベンツとして初めてSクラスと正式に命名されたモデルです。
 このクルマの素晴らしいところは徹底した安全対策です。内装デザインは過剰な装飾を持たず極めてシンプル。スイッチ類は使いやすさや操作ミス防止のため形状や配置に多くの配慮がなされています。
 前後の灯火類にはレンズに凹凸がつけられています。これは悪天候時にレンズが汚れてもその凹みにより視認性が確保できるようにという設計なんです。
 またABSを世界で初めて採用したのもこの車です。

No.45 1975年式 メルセデス・ベンツ 280

大場 恒男・大場 隆子ペア

車両解説

 W114と呼ばれるこのクルマ、上位モデルのSクラスと比べ「コンパクトで扱いやすい」と人気を集めました。
 「ベンツ」と聞くと「医者のクルマだべ」とか「あっち系の人?」とかいうイメージが強い方多いんじゃないですか?でも実際はバン、タクシー、大型バス、ダンプカーなどの営業車や商用車、各種作業車、大衆車まで扱ってます。
 日本では以前の輸入元であったヤナセの「高い価格帯の車種を中心に輸入する」というブランド戦略イメージもありましてしばしば高級車メーカーと紹介や誤認をされますが、欧米ではボルボやルノーなどと並ぶ自動車総合メーカーとして認知されているんです。

No.44 1968年式 三菱 ミニカ スーパーデラックス
(※フェラーリ
ディノ208GT4から変更)

贄田 勇人・贄田 冬華ペア

車両解説

 1961年に登場した軽ボンネットバン「三菱360」をベースに車体後部構造とグリルのデザインを変えることで4人乗り軽乗用車に仕立てられたのがミニカです。
 この時代ハッチバックやセダンタイプなど色んなスタイルの軽自動車がありました。駆動方式もFF、FR、RRと各社様々。そんななか三菱が取った手法は独立したトランクを持ったセダンで、FR駆動。武骨なデザインでありながら堅実で信頼性は高かったんです。
 ちなみにオーナーの贄田さん盛岡在住の時にこのミニカを購入。登録ナンバー「盛岡88あ1」をGETしました!

No.43 1975年式 VWポルシェ 914-4

武藤 哲哉・浅野 香純ペア

車両解説

 ワーゲン・ポルシェというニックネームを持つこの車、フォルクスワーゲンとポルシェの共同生産なんです。
 エンジンがフォルクスワーゲン製だったことでネガティブなイメージを持つ方もいらっしゃいますが、ワーゲンのエンジンって遡ればフェルデナント・ポルシェ博士が設計してますからむしろ相性の良い組み合わせだと思うんです。
 また、ロータスをはじめとするブリティッシュ・スポーツやフランスのアルピーヌなんかも市販車のエンジンを使って歴史に残る名車を生み出しています。
 高性能で価格が安いんですから我々には歓迎すべき事ですよね。

No.42 1975年式 トヨタ セリカLB 1600GT

山本 広光・山本 歩夢ペア

車両解説

 1970年に日本初のスペシャリティカーとして登場し大ヒットしたモデルです。そして1973年、アメリカンなスタイルの3ドア・リフトバックが追加され人気は不動のものとなります。
 2タイプ7種のボディ、2タイプ15種の内装、9種のエンジン、6種のトランスミッションから自由に選べる“フルチョイス”と呼ばれるシステムを採用したのもニュースとなりました。
 また国内外のレースシーンでも活躍。なかでもドイツレーシングカー選手権のグループ5、いわゆるシルエットフォーミュラでのセリカLBターボをご記憶の方も多いのではないでしょうか。

No.41 1974年式 BMW 2002ターボ

鈴木 孝司・鈴木 規子ペア

車両解説

 ツーリングカー選手権においてポルシェと激闘を繰り広げていたベー・エム・ヴェーは、航空機エンジンで培ってきたターボチャージャーを投入し宿敵ポルシェを打ち破りました。
 そして1973年、量産車では世界初のターボエンジン搭載車2002ターボをラインナップに加えました。
 従来のマルニがスッキリしたスタイリングであったのに対しフロントバンパーの替わりにエアスポイラーを装備、前後のフェンダーにはリベット止めのオーバーフェンダーとヤル気マンマンのスタイルに変貌しました。