佐藤 憲雄・小板 好文ペア
車両解説
XJシリーズの2世代目、創始者のサー・ウィリアムズ・ライオンズが承認した最後のXJです。
時代の流れに沿ってヘッドライト周りなんかはシンプルになりましたがジャガー独特の上品なイメージは健在です。これはライオンズが、「美しい物は売れる」という思想を持っておりその思想が強く反映されているのでしょう。
ちょうどこの頃ジャガーはアメリカのフォードに買収されてしまうのですが、その結果信頼性が大幅にアップします。
佐藤 憲雄・小板 好文ペア
XJシリーズの2世代目、創始者のサー・ウィリアムズ・ライオンズが承認した最後のXJです。
時代の流れに沿ってヘッドライト周りなんかはシンプルになりましたがジャガー独特の上品なイメージは健在です。これはライオンズが、「美しい物は売れる」という思想を持っておりその思想が強く反映されているのでしょう。
ちょうどこの頃ジャガーはアメリカのフォードに買収されてしまうのですが、その結果信頼性が大幅にアップします。
萱場 久美・萱場 匡子ペア
1961年に登場したジャガー・マークXが、5年後の1966年に420Gへとモデルチェンジします。と言っても変更点はごくわずかで、事実上のマイナーチェンジでした。
メインの市場であるアメリカの好みに合わせ当時のヨーロッパ車としては異例の超大型ボディが与えられました。大きく分厚いドアを軽く開閉するために補助スプリングまでも組み込まれていたんですよ。
先代のマークナインと比べて長く、広く、低くなり60年代に相応しい近代性とジャガーらしい優美さを兼ね備えたデザインは、今日まで続く各モデルに影響を与えております。
ちなみに、歌手のフランク永井さんも420Gのオーナーだったんですよ。
古原 武男・古原 佳奈ペア
シリーズ1とシリーズ2の違いは、外観上はヘッドライトのカバーが取り払われたことと、ウインカー等の灯火類が大型化されたこと、また特徴的だった3本ワイパーが一般的な2本ワイパーに変更された他それほど多くはありませんでした。
むしろ安全性や快適性の向上が主な変更点でシートのリクライニング機構が採用されたりブレーキの性能が向上、ラジエーターの大型化などが挙げられます。
広いとは言いづらい2+2クーペですが、走りを忘れたくないお父さん達から支持を受け、人気モデルとなりました。
加藤 有吾郎・志田 眞ペア
1961年、ジュネーブショーにて華々しいデビューを飾ったEタイプは、美しいボディラインのみならず当時としては夢のような最高時速240km/hを標榜し人々の憧れの的となりました。
その後1964年10月にマイナーチェンジを受けエンジンが3.8リッターから4.2リッターに変更されたんですが、見た目で一番の変更点は内装です。シート形状は見直され薄いバケットシートからたっぷりとしたクッションの容量を持ったシートへと変更されました。コンソールボックス兼肘掛も設置され快適性は飛躍的に向上しました。
ボディは2シータークーペと2+2クーペ、ロードスターの三種類がありますがどれも美しさでは引けを取りません。
伊藤 淳一・竹村 守ペア
1922年にウィリアム・ライオンズとその友人であるウィリアム・ウォームズレイにより「スワロー・サイドカー・カンパニー」が設立されました。
サイドカーの製造で成功すると次第に自動車の製造に乗り出します。1928年にスワロー・コーチビルディング・カンパニーへと社名を変更、そして1933年にはSSカーズへと再び社名変更し本格的な高級車メーカーに成長しました。
ただ、このSSというのがナチスの親衛隊を連想させるという理由で、第二次世界大戦後の1945年にジャガー・カーズに社名を変更し、現在に至ります。このクルマはちょうどその頃のクルマですね。
阿部 巧・平井 行宏ペア
古市 孝・足利 良寛ペア
古原 武男・古原 憲子ペア