No.65 2000年式 ホンダ NSX タイプS Zero

62位 三平 透・鈴木 雅明ペア
これほど綺麗にオリジナルを保ったNSXは珍しいですね。
実は3年程前に三平さんとお会いしたのですが、私に向かって開口一番「この度はすみませんでした」と謝ってきました。聞けばこのクルマのナンバー、567……コロナ!
いやいや、三平さんが悪い訳じゃないですから!
2位 米森 賢・米森 宣子ペア
もう名前長いです!(笑)これも私が大好きな1,600ccのクルマでして、若い頃乗ってたんですよ、バラスポ。
米森さん曰く、だいぶくたびれてきてますが、このクルマでまた岩手路を走れる事を楽しみにしています。との事でした。
23位 大内 康雄・大内 美喜子ペア
このタイプMというのは、海外向け輸出仕様を基本に国内向けに手直ししたものです。ホンダというメーカーは国内の他社に比べ、早い時期から輸出に力を入れており、またホンダの高い技術はこの頃すでに海外でも賞賛を受けていました。
モナコ王国のグレース王妃もエスハチのオーナーだったそうです。
54位 小笠原 幸輝・川元 恵美子ペア(初参加)
ホンダが最初に発売した四輪車は、なんと日本初のDOHCエンジンを搭載した軽トラックでした。その後、S500から始まるSシリーズが追加されます。つまりこの当時、ホンダのラインナップはスポーツカーと軽トラだけだったんです。
余談ですが、このピョコンと出たヘッドライトのデザイン、本田宗一郎さんのお気に入りだったそうです。
35位 遠藤 徳市・遠藤 幸ペア
この当時のホンダは、二輪四輪を問わずモータースポーツとは切っても切れない関係にありました。このエスハチも、そんな『ホンダイズム』を感じさせる一台です。
ちなみにオーナーの遠藤さん、この日の為にオーバーホールを行い、機関絶好調だそうです。気合い入ってますね~!
三平 透・鈴木 雅明ペア
バブル景気も絶頂に達した1989年に発表、翌90年に発売されたこのNSX。日本でもようやくフェラーリやポルシェに対抗できるスーパーカーが出たってんで巷はもう大騒ぎになりましたね。
開発にはあのアイルトン・セナや中嶋悟といったF1ドライバーも参加したとか、ボディ剛性を高める為に過酷なコースレイアウトで有名なドイツのニュルブルクリンクを走り込んだとか、こないだまで日産シーマの500万円で驚いてたら今度は800万円だとよ、とかこのクルマにまつわる話は枚挙に暇がありません。
こんなクルマに夢を乗せる事が出来たあの頃が懐かしいですねぇ。
改造車が増える中これほど綺麗にオリジナルを保ったNSXは珍しいです。是非、大事に乗り続けて頂きたいですね。
米森 賢・米森 宣子ペア
もう名前長いです!(笑)
これも私が大好きなクルマ(注:アナウンス担当)でして、若い頃乗ってたんですよ、バラスポ。
登場時から「エスの再来」とホンダファンに喝采をもって迎えられましたが、シビックをベースに徹底した軽量化で軽快な走りを手に入れる手法はむしろライバルのヨタハチに近いと言えるかも知れません。
1984年に追加されたsiはエスハチ以来14年ぶりとなるDOHCエンジンを搭載。峠ではFF最速の称号を手に入れました。
F1レースでの活躍もあってホンダが一番輝いていた時代の名車の一つです。
大内 康雄・大内 美喜子ペア
この当時バイクの世界ではすでに世界に名を轟かせていたホンダが最初に発売した乗用車がこのS500です。わずか500ccでもDOHCエンジンで1,000ccクラスよりハイパワー!時計のように精密だと世間を驚かせました。
しかしこのS500一年も経たずにS600へとバトンタッチ。わずか500台くらいで生産を終了してしまいます。マニアがうなるほどの貴重なクルマです!
ちなみに本田宗一郎さんは1989年にアジア人では初めてアメリカの自動車殿堂入りを果たしております。
菅井 豊丸・大浦 克己ペア
この当時のホンダは、二輪四輪を問わずモータースポーツとは切っても切れない関係にありました。
創業者の本田宗一郎氏は、子供の頃から「自分の造った自動車で世界のレースを制覇するのが夢」だったそうですが、F1はもちろんスプリントレースから耐久レースまでありとあらゆるカテゴリーに挑戦し、子供の頃からの夢を現実にしていったのです。このエスハチも、そんな『ホンダイズム』を感じさせる一台です。
また、ホンダというメーカーは国内の他社に比べ早い時期から輸出に力を入れており、またホンダの高い技術はこの頃すでに海外でも賞賛を受けていました。モナコ王国のグレース王妃もエスハチのオーナーだったそうです。
髙橋 十久男・千葉 馨ペア
米森 賢・米森 宣子ペア