タグ別アーカイブ: 日産


No.58 1991年式 日産 スカイラインGT-R

19位 宗形 武志・岩倉 克幸ペア

 先代ケンメリの生産終了より実に16年ぶりとなるGT-Rの復活は衝撃的でした。

『レースに勝つ為に生まれてきた』という形容詞がまさにピッタリで、全日本ツーリングカー選手権をはじめ、様々なカテゴリーで向かうところ敵無し!大活躍しました。



No.32 1971年式 日産 スカイライン 2000GT-R

3位 青木 美代子・青木 実ペア

 本当に程度の良い青木さんのGT-R。コロナ禍で不要不急の外出禁止を守り、あまりクルマを外に出してなかったけど、週末は旦那さんがせっせと磨いたり、エンジン掛けたり、4年前と同じく絶好調!

 皆さんに会える事を楽しみにしていたとおっしゃっています。



No.62 1991年式 日産 スカイラインGT-R

宗形 武志・岩倉 克幸ペア

車両解説

 先代ケンメリの生産終了より実に16年ぶりとなるGT-Rの復活は衝撃的でした。そのスタイルといい性能といい、これまでのクルマが一気に旧態化して見えるくらいでした。
 この当時の日産では90年代までに技術世界一を目指す「901計画」と言うものがありました。その中でも一番の目玉がこのR32GT-Rだったわけです。
 『レースに勝つ為に生まれてきた』という形容詞がまさにピッタリで、全日本ツーリングカー選手権をはじめ様々なカテゴリーで向かうところ敵無し!大活躍しました。
 ちょうど私(注:アナウンス担当)も免許取りたての頃でこのクルマの登場にはワクワクしましたね。またこのボディラインが鍛えられたアスリートといったイメージで良いですね。



No.52 1985年式 日産 パルサー EXA コンバーチブル

鎌田 直榮・鎌田 みえ子ペア

車両解説

 日産初のFF車として登場したチェリー。その後継車としてデビューしたパルサーの2代目モデルN12型の2ドアクーペにはEXAというサブネームが付きました。
 先代のN10型パルサークーペが3ドアハッチバックであったのに対して、独立したトランクを持つ2ドアノッチバックに変貌。さらにリトラクタブルヘッドランプいわゆるスーパーカーライトを装備してパルサーとはイメージがガラリと変わりました。
 1983年には日本初となるドアミラーを採用し、未来的なスタイリングが人気を集めました。そして1985年には日産チェリー店発足15周年を記念してコンバーチブルが限定生産されたり数々の話題を振りまいた名車です。



No.35 1972年式 日産 スカイライン 2000GT-R

廣田 東洋・小野寺 満ペア

車両解説

 「GT-R」の歴史は、ツーリングカーレースで活躍した先代プリンス・スカイライン2000GT-Bの後継車として1968年10月開催の「第15回東京モーターショー」に「スカイラインGTレーシング仕様」を出品した事に始まります。
 この「GTレーシング仕様」がほぼそのままの形で1969年2月に初代GT-Rとして発売されました。スカイラインの中でもレースでの使用を主として開発された車種であり、ガラスは熱線吸収タイプでない無色透明、リアデフォッガーやモール類、装飾類、ホイールカバーが装備されずさらにラジオまでもオプションだったと言われています。
 当時の日産の本気度が伺えますね。



No.33 1971年式 日産 スカイライン 2000GT-R

青木 美代子・青木 実ペア

車両解説

 このクルマは1分では語りきれません!歴代日本車の中でもトップクラスの人気を誇る1台です。国内レースで破竹の49連勝、羊の皮を被った狼、レーシングカーのプリンス・R380のエンジンを市販車向けにデチューンして積んだとか数々の伝説があります。
 デビュー当初は4ドアセダンだったのですが1970年のマイナーチェンジで2ドアクーペに移行、さらに戦闘力がアップします。
 ただ、私が何より興奮しているのはこの個体の程度の良さです!多くの個体が様々な改造を受けオリジナルの姿を保っているのは少ないのですが、このクルマはまるでタイム・スリップでもしてきたかのようであります!この純正のスチールホイールなんか、サビひとつ有りませんよ!
 いつまでも大切に走らせていただきたい1台ですね。



No.20 1968年式 日産 ダットサン フェアレディ SP311

菅野 善光・菅野 えつ子ペア

車両解説

 長い歴史を誇るフェアレディの2世代目にあたり車名はミュージカル「マイ・フェア・レディ」に由来します。ちなみに初代モデルはアメリカ向けの左ハンドルしか生産されず名前も『フェアレデー』と棒線なんですね。
 そしてこのSP310系で名前が『フェアレディ』になり、初めて右ハンドル車が生産されます。
 1,500ccのSP310型でスタートしましたが、この1,600ccのSP311を経て最後は2,000ccのSR311へと進化し国内ゼロヨン最速の称号を暫らくの間死守します。