カテゴリー別アーカイブ: TdM2019


No.35 1972年式 日産 スカイライン 2000GT-R

廣田 東洋・小野寺 満ペア

車両解説

 「GT-R」の歴史は、ツーリングカーレースで活躍した先代プリンス・スカイライン2000GT-Bの後継車として1968年10月開催の「第15回東京モーターショー」に「スカイラインGTレーシング仕様」を出品した事に始まります。
 この「GTレーシング仕様」がほぼそのままの形で1969年2月に初代GT-Rとして発売されました。スカイラインの中でもレースでの使用を主として開発された車種であり、ガラスは熱線吸収タイプでない無色透明、リアデフォッガーやモール類、装飾類、ホイールカバーが装備されずさらにラジオまでもオプションだったと言われています。
 当時の日産の本気度が伺えますね。



No.34 1972年式 ルノー アルピーヌA110 1600S

大藤 悦二・大藤 宏興ペア

車両解説

 こちらも名前には悩まされますね。アルピーヌ・ルノーなのかルノー・アルピーヌなのか。ウィキペディアとかで調べてもさっぱり要領を得ません。
 正式な会社名は「ソシエテ・デ・オートモビル・アルピーヌ・ルノー」であることや、私が子供の頃持ってたスーパーカーカードにアルピ-ヌ・ルノーと書かれていたのでここではアルピーヌ・ルノーと紹介させていただきます。
 昨年、新型A110が日本でも発表されましたが、こちらも楽しそうなクルマですね。
 このフレンチ・ブルーのボディカラーもたまりません!



No.33 1971年式 日産 スカイライン 2000GT-R

青木 美代子・青木 実ペア

車両解説

 このクルマは1分では語りきれません!歴代日本車の中でもトップクラスの人気を誇る1台です。国内レースで破竹の49連勝、羊の皮を被った狼、レーシングカーのプリンス・R380のエンジンを市販車向けにデチューンして積んだとか数々の伝説があります。
 デビュー当初は4ドアセダンだったのですが1970年のマイナーチェンジで2ドアクーペに移行、さらに戦闘力がアップします。
 ただ、私が何より興奮しているのはこの個体の程度の良さです!多くの個体が様々な改造を受けオリジナルの姿を保っているのは少ないのですが、このクルマはまるでタイム・スリップでもしてきたかのようであります!この純正のスチールホイールなんか、サビひとつ有りませんよ!
 いつまでも大切に走らせていただきたい1台ですね。



No.32 1970年式 メルセデス・ベンツ 280SEL

澤崎 義春・澤崎 彰子ペア

車両解説

 現在のSクラスへと続くメルセデスのフラッグシップモデルです。
 いわゆる「縦目のベンツ」と呼ばれ今でも親しまれております。このモデルから、ショートとロング、2種類のボディが用意されました。
 SELのLはロングホイールベースのLです。もちろんショーファードリブン・カー、つまり運転手付きでオーナーは後ろの座席……という使われ方を想定してのパッケージングですね。
 日本でベンツイコール高級車という見方をされるのはこのクルマがあったからかも知れません。



No.31 1970年式 いすゞ ベレット 1600GTR

中村 繁・中村 信子ペア

車両解説

 今ではトラックメーカーのイメージが定着していますが、昔はいすゞも乗用車を造っていたんですよ。117クーペやジェミニ、ピアッツァなど、日本の自動車史に残る名車も生み出しておりますがこのベレットもそんな1台です。
 トヨタ2000GTやスカイラインGT等、日本にはGTと名乗る車が数多く存在しますが、初めてGTという名称を使ったのはこの『ベレG』なんです。ベレットの硬派な雰囲気も好きです。



No.29 1970年式 ダットサン サニー

小野寺 浩・小野寺 憲子ペア

車両解説

 この当時ライバル各社は700~1,000ccクラスのコンパクトカーを発売しはじめたのですが、日産の社長であった川又克二さんは当初ブルーバードと“同志討ち”になりかねないベーシックカーの開発には消極的で「お金のない方はブルーバードの中古車をお買いになればよろしい」と評する始末だったそうです。
 開発陣は商用車開発などの名目で川又社長を説き伏せようやくベーシックカーの開発に漕ぎ付けました。
 サニーが大成功したことで、川又も部下たちに対し「サニーの開発をやっておいて良かったな」と反省の弁を残した、という逸話があるんです。



No.30 1970年式 ロータス エラン S4

大津 政彦・大津 敦子ペア

車両解説

 1962年のロンドンモーターショーで公開されたエラン。シリーズトータルで約18,000台が生産されこのクルマの大ヒットによってロータスは名実共に一流のスポーツカーメーカーになります。
 ボディは軽量なFRP(強化繊維プラスティック)製です。ロータスは世界でもトップクラスの技術を持っていてFRPボディは現行のエリーゼでも採用されています。
 このエランをレーシングカーにモディファイした26Rというクルマは英国のみならず世界中の様々なレースで大活躍しました。



No.28 1970年式 フィアット アバルト595SS

笹森 通彰・今村 太一ペア

車両解説

 フィアットのチンクエチェントをベースにカルロ・アバルトはモータースポーツを大衆にも手の届くものにしよう、と考え送り出されたのがこの車です。
 エンジンは32.4馬力……と言うとアルトワークスの半分かよと思われるかもしれませんが、ノーマル・チンクの17.7馬力から倍近くパワーアップされており底抜けに楽しい車に仕上がってます。
 アルファベットのSSと書いてエッセエッセと読みまして、これはグループ2レースのホモロゲーションモデルに付けられた称号です。



No.26 1969年式 MG-B GT

熱海 順・熱海 千恵ペア

車両解説

 イギリスの誇る名車、MG Bのクーペモデルです。
 先代のMG A フィクスドヘッドクーペが好調な売れ行きだった為デザインはかなり慎重に煮詰められたそうです。
 MG Aでは取って付けたようなハードトップでしたが、このMG Bではフロントウィンドゥを大型化、その後ろになだらかに落ちるファストバックのスタイルとなりました。これによりグランド・ツアラーの名に恥じない快適性を手に入れ、ヒット商品となりました。



No.25 1969年式 ランチア フルビアクーペ ラリー1.3S

高田 一夫・杉原 桂子ペア

車両解説

 ランチアというと、日本ではあまり知られていませんがモノコックボディや独立式サスペンション、V型エンジン、5速トランスミッション、風洞実験に基ずくボディデザインなどを市販車において世界で初めて採用したメーカーなんです。
 このフルビアも独創的な狭角V型4気筒DOHCエンジンや当時は未だ珍しかった前輪駆動を採用しました。また、広いグラスエリアや上品なデザインなど上質なクルマに仕上がっているのも流石ですね。
 1972年のWRCチャンピオンカーになるなどラリーでも大活躍をしその後のストラトスやデルタといった名車に続く「ラリーのランチア」のイメージを定着させたのもこのクルマなんです。



No.24 1969年式 ダットサン サニー

佐藤 宏樹・佐藤 直樹ペア

車両解説

 1960年代、高度経済成長によりマイカー時代に突入した日本。それに応えて日産自動車は1,000ccクラスの小型車を開発します。車名を一般公募するキャンペーンを展開し約800万通もの応募の中からサニーという名前が選ばれました。
 発売当初は好調なセールスを記録しますがその後トヨタが新型車「カローラ」を投入、「プラス100ccの余裕」というCMのキャッチコピーは明らかにサニーを意識したものでした。
 しかし日産も負けてはおりません。二代目サニーにモデルチェンジした際に「隣のクルマが小さく見えま~す」とやりかえし熾烈な販売競争へとなだれ込みます。



No.23 1964年式 ホンダ S500
(ホンダ S800Mタイプから変更)

大内 康雄・大内 美喜子ペア

車両解説

 この当時バイクの世界ではすでに世界に名を轟かせていたホンダが最初に発売した乗用車がこのS500です。わずか500ccでもDOHCエンジンで1,000ccクラスよりハイパワー!時計のように精密だと世間を驚かせました。
 しかしこのS500一年も経たずにS600へとバトンタッチ。わずか500台くらいで生産を終了してしまいます。マニアがうなるほどの貴重なクルマです!
 ちなみに本田宗一郎さんは1989年にアジア人では初めてアメリカの自動車殿堂入りを果たしております。



No.22 1969年式 トヨタ スポーツ800

千葉 天・千葉 奈津子ペア

車両解説

 今回、ヨタハチが2台出場してますから、前期型・後期型の見分け方のお話からいたしましょう。
 1965年から69年までの4年間生産されたヨタハチですが、大幅なマイナーチェンジは無く外観上での見分けるポイントは少ないです。
 例えば、フロントグリルのデザインの違い、バンパーのオーバーライダーのゴム部分の形、リヤのナンバー灯とバックランプが一体化されたのが後期型……と今話してる私もどっちがどっちかよく判ってません。それほど完成されたデザインだったという事でしょう。



No.21 1968年式 AC オートクラフト コブラ

齋藤 清・齋藤 アサ子ペア

車両解説

 イギリスの小さな自動車メーカーであったACカーズのスポーツカー「ACエース」にアメリカの大排気量エンジンを積んだクルマがコブラです。
 ACエースが2リッターから2.6リッターであったのに対し初期型で4.2リッター、後には7リッターエンジンまで用意されました。
 それにあわせてスタイルも端正なブリティッシュ・スポーツのそれからアメリカン・マッスルとでも言うべきマッチョな風貌へと変わりました。
 ちなみに、今でもシェルビーコブラを新車で買うことが出来ます。そのお値段は…… 興味のある方は調べてみてください。



No.20 1968年式 日産 ダットサン フェアレディ SP311

菅野 善光・菅野 えつ子ペア

車両解説

 長い歴史を誇るフェアレディの2世代目にあたり車名はミュージカル「マイ・フェア・レディ」に由来します。ちなみに初代モデルはアメリカ向けの左ハンドルしか生産されず名前も『フェアレデー』と棒線なんですね。
 そしてこのSP310系で名前が『フェアレディ』になり、初めて右ハンドル車が生産されます。
 1,500ccのSP310型でスタートしましたが、この1,600ccのSP311を経て最後は2,000ccのSR311へと進化し国内ゼロヨン最速の称号を暫らくの間死守します。



No.19 1967年式 ジャガー 420G

萱場 久美・萱場 匡子ペア

車両解説

 1961年に登場したジャガー・マークXが、5年後の1966年に420Gへとモデルチェンジします。と言っても変更点はごくわずかで、事実上のマイナーチェンジでした。
 メインの市場であるアメリカの好みに合わせ当時のヨーロッパ車としては異例の超大型ボディが与えられました。大きく分厚いドアを軽く開閉するために補助スプリングまでも組み込まれていたんですよ。
 先代のマークナインと比べて長く、広く、低くなり60年代に相応しい近代性とジャガーらしい優美さを兼ね備えたデザインは、今日まで続く各モデルに影響を与えております。
 ちなみに、歌手のフランク永井さんも420Gのオーナーだったんですよ。



No.18 1967年式 ジャガー Eタイプ Sr2 2+2

古原 武男・古原 佳奈ペア

車両解説

 シリーズ1とシリーズ2の違いは、外観上はヘッドライトのカバーが取り払われたことと、ウインカー等の灯火類が大型化されたこと、また特徴的だった3本ワイパーが一般的な2本ワイパーに変更された他それほど多くはありませんでした。
 むしろ安全性や快適性の向上が主な変更点でシートのリクライニング機構が採用されたりブレーキの性能が向上、ラジエーターの大型化などが挙げられます。
 広いとは言いづらい2+2クーペですが、走りを忘れたくないお父さん達から支持を受け、人気モデルとなりました。



No.17 1967年式 ジャガー Eタイプ Sr1 OTS

加藤 有吾郎・志田 眞ペア

車両解説

 1961年、ジュネーブショーにて華々しいデビューを飾ったEタイプは、美しいボディラインのみならず当時としては夢のような最高時速240km/hを標榜し人々の憧れの的となりました。
 その後1964年10月にマイナーチェンジを受けエンジンが3.8リッターから4.2リッターに変更されたんですが、見た目で一番の変更点は内装です。シート形状は見直され薄いバケットシートからたっぷりとしたクッションの容量を持ったシートへと変更されました。コンソールボックス兼肘掛も設置され快適性は飛躍的に向上しました。
 ボディは2シータークーペと2+2クーペ、ロードスターの三種類がありますがどれも美しさでは引けを取りません。



No.16 1967年式 マツダ コスモスポーツ

山本 光幸・山本 美知子ペア

車両解説

 世界初のロータリーエンジン搭載車、そして「帰って来たウルトラマン」のマット・ビハイクルとしても有名なんですが、この車は初期型でして一年ちょっとの間にわずか343台しか生産されなかった大変貴重な1台です。
 フロントグリルがウインカーと同じ縦幅、またドアの後ろのホイールアーチまでの間隔が狭いのが初期型です。
 1964年に開催された第11回東京モーターショーにプロトタイプが出展されたのですが、この時当時の松田恒次社長が自らコスモスポーツのハンドルを握って広島から自走。帰りには各販売会社などを訪問したという武勇伝も残っています。
 ちなみにオーナーの山本さん、ディアゴスティーニの週刊コスモスポーツを定期購読してまして、 1/8スケールのダイキャストモデルをコツコツと製作中との事です。



No.15 1967年式 ホンダ S800

菅井 豊丸・大浦 克己ペア

車両解説

 この当時のホンダは、二輪四輪を問わずモータースポーツとは切っても切れない関係にありました。
 創業者の本田宗一郎氏は、子供の頃から「自分の造った自動車で世界のレースを制覇するのが夢」だったそうですが、F1はもちろんスプリントレースから耐久レースまでありとあらゆるカテゴリーに挑戦し、子供の頃からの夢を現実にしていったのです。このエスハチも、そんな『ホンダイズム』を感じさせる一台です。
 また、ホンダというメーカーは国内の他社に比べ早い時期から輸出に力を入れており、またホンダの高い技術はこの頃すでに海外でも賞賛を受けていました。モナコ王国のグレース王妃もエスハチのオーナーだったそうです。