No.23 1964年式 ホンダ S500
(ホンダ S800Mタイプから変更)

大内 康雄・大内 美喜子ペア

車両解説

 この当時バイクの世界ではすでに世界に名を轟かせていたホンダが最初に発売した乗用車がこのS500です。わずか500ccでもDOHCエンジンで1,000ccクラスよりハイパワー!時計のように精密だと世間を驚かせました。
 しかしこのS500一年も経たずにS600へとバトンタッチ。わずか500台くらいで生産を終了してしまいます。マニアがうなるほどの貴重なクルマです!
 ちなみに本田宗一郎さんは1989年にアジア人では初めてアメリカの自動車殿堂入りを果たしております。



No.22 1969年式 トヨタ スポーツ800

千葉 天・千葉 奈津子ペア

車両解説

 今回、ヨタハチが2台出場してますから、前期型・後期型の見分け方のお話からいたしましょう。
 1965年から69年までの4年間生産されたヨタハチですが、大幅なマイナーチェンジは無く外観上での見分けるポイントは少ないです。
 例えば、フロントグリルのデザインの違い、バンパーのオーバーライダーのゴム部分の形、リヤのナンバー灯とバックランプが一体化されたのが後期型……と今話してる私もどっちがどっちかよく判ってません。それほど完成されたデザインだったという事でしょう。



No.21 1968年式 AC オートクラフト コブラ

齋藤 清・齋藤 アサ子ペア

車両解説

 イギリスの小さな自動車メーカーであったACカーズのスポーツカー「ACエース」にアメリカの大排気量エンジンを積んだクルマがコブラです。
 ACエースが2リッターから2.6リッターであったのに対し初期型で4.2リッター、後には7リッターエンジンまで用意されました。
 それにあわせてスタイルも端正なブリティッシュ・スポーツのそれからアメリカン・マッスルとでも言うべきマッチョな風貌へと変わりました。
 ちなみに、今でもシェルビーコブラを新車で買うことが出来ます。そのお値段は…… 興味のある方は調べてみてください。



No.20 1968年式 日産 ダットサン フェアレディ SP311

菅野 善光・菅野 えつ子ペア

車両解説

 長い歴史を誇るフェアレディの2世代目にあたり車名はミュージカル「マイ・フェア・レディ」に由来します。ちなみに初代モデルはアメリカ向けの左ハンドルしか生産されず名前も『フェアレデー』と棒線なんですね。
 そしてこのSP310系で名前が『フェアレディ』になり、初めて右ハンドル車が生産されます。
 1,500ccのSP310型でスタートしましたが、この1,600ccのSP311を経て最後は2,000ccのSR311へと進化し国内ゼロヨン最速の称号を暫らくの間死守します。



No.19 1967年式 ジャガー 420G

萱場 久美・萱場 匡子ペア

車両解説

 1961年に登場したジャガー・マークXが、5年後の1966年に420Gへとモデルチェンジします。と言っても変更点はごくわずかで、事実上のマイナーチェンジでした。
 メインの市場であるアメリカの好みに合わせ当時のヨーロッパ車としては異例の超大型ボディが与えられました。大きく分厚いドアを軽く開閉するために補助スプリングまでも組み込まれていたんですよ。
 先代のマークナインと比べて長く、広く、低くなり60年代に相応しい近代性とジャガーらしい優美さを兼ね備えたデザインは、今日まで続く各モデルに影響を与えております。
 ちなみに、歌手のフランク永井さんも420Gのオーナーだったんですよ。



No.18 1967年式 ジャガー Eタイプ Sr2 2+2

古原 武男・古原 佳奈ペア

車両解説

 シリーズ1とシリーズ2の違いは、外観上はヘッドライトのカバーが取り払われたことと、ウインカー等の灯火類が大型化されたこと、また特徴的だった3本ワイパーが一般的な2本ワイパーに変更された他それほど多くはありませんでした。
 むしろ安全性や快適性の向上が主な変更点でシートのリクライニング機構が採用されたりブレーキの性能が向上、ラジエーターの大型化などが挙げられます。
 広いとは言いづらい2+2クーペですが、走りを忘れたくないお父さん達から支持を受け、人気モデルとなりました。



No.17 1967年式 ジャガー Eタイプ Sr1 OTS

加藤 有吾郎・志田 眞ペア

車両解説

 1961年、ジュネーブショーにて華々しいデビューを飾ったEタイプは、美しいボディラインのみならず当時としては夢のような最高時速240km/hを標榜し人々の憧れの的となりました。
 その後1964年10月にマイナーチェンジを受けエンジンが3.8リッターから4.2リッターに変更されたんですが、見た目で一番の変更点は内装です。シート形状は見直され薄いバケットシートからたっぷりとしたクッションの容量を持ったシートへと変更されました。コンソールボックス兼肘掛も設置され快適性は飛躍的に向上しました。
 ボディは2シータークーペと2+2クーペ、ロードスターの三種類がありますがどれも美しさでは引けを取りません。



No.16 1967年式 マツダ コスモスポーツ

山本 光幸・山本 美知子ペア

車両解説

 世界初のロータリーエンジン搭載車、そして「帰って来たウルトラマン」のマット・ビハイクルとしても有名なんですが、この車は初期型でして一年ちょっとの間にわずか343台しか生産されなかった大変貴重な1台です。
 フロントグリルがウインカーと同じ縦幅、またドアの後ろのホイールアーチまでの間隔が狭いのが初期型です。
 1964年に開催された第11回東京モーターショーにプロトタイプが出展されたのですが、この時当時の松田恒次社長が自らコスモスポーツのハンドルを握って広島から自走。帰りには各販売会社などを訪問したという武勇伝も残っています。
 ちなみにオーナーの山本さん、ディアゴスティーニの週刊コスモスポーツを定期購読してまして、 1/8スケールのダイキャストモデルをコツコツと製作中との事です。



No.15 1967年式 ホンダ S800

菅井 豊丸・大浦 克己ペア

車両解説

 この当時のホンダは、二輪四輪を問わずモータースポーツとは切っても切れない関係にありました。
 創業者の本田宗一郎氏は、子供の頃から「自分の造った自動車で世界のレースを制覇するのが夢」だったそうですが、F1はもちろんスプリントレースから耐久レースまでありとあらゆるカテゴリーに挑戦し、子供の頃からの夢を現実にしていったのです。このエスハチも、そんな『ホンダイズム』を感じさせる一台です。
 また、ホンダというメーカーは国内の他社に比べ早い時期から輸出に力を入れており、またホンダの高い技術はこの頃すでに海外でも賞賛を受けていました。モナコ王国のグレース王妃もエスハチのオーナーだったそうです。



No.14 1966年式 マツダ ルーチェ

江指 靖範・江指 加代子ペア

車両解説

 1966年に登場した初代ルーチェは、高級ツーリングカーをテーマに開発した上級セダンです。ライバルの日産・ローレルやトヨタ・コロナマークIIより2年早い先駆者的存在でした。
 ボディデザインはイタリアのジョルジェット・ジウジアーロによるもので、エレガントなスタイリングとグラスエリアの広い開放的な空間を持ち合わせています。フロント・リアともに3人掛けの6人乗りで、広告でもこの点がアピールされていました。
 初期の広告の「子供は法律上三人で(大人)二人と換算されるので、8人乗りも可能です」というフレーズは、当時の市場の要求をよく反映していますね。
 1969年には2ドアクーペが追加されます。部分的にセダンのデザインを踏襲していますがロータリーエンジンや前輪駆動を採用、ほとんど別のクルマであります。



No.13 1966年式 ダットサン ブルーバード

佐々木 進・佐々木 光子ペア

車両解説

 日産自動車で初めてフル・モノコック構造の車体を採用した車です。また当時の日産はモータースポーツにも積極的に参加しておりまして、1966年の『第14回東アフリカサファリラリー』に4台の「1300SS」で参戦。クラス優勝を果たしております。
 この後の510ブルーバードやS30フェアレディZと並ぶ名車であります。初期型のスタイリングはピニンファリーナによるものだったんですが、ヨーロッパ調の尻下がりラインが日本人には不評で、この後期型では直線的なリヤデザインに改められます。
 ちなみに、映画『ルパン三世 カリオストロの城』で銭形の父っつあんが乗ってたパトカーがこの型のブルーバードです。ですが、なぜかこのクルマの後ろには「バカボンのパパ」が座っております。



No.11 1965年式 トヨタ スポーツ800

澤口 浩二・藤原 拓也ペア

車両解説

 歴代のトヨタ車で一番ピュアなスポーツカーは?と聞かれたら、私は迷わずヨタハチの名前を挙げます。
 パブリカから流用された空冷エンジンは、出力たったの45馬力。それを超軽量構造と、空気抵抗少なくする事で、スポーツカーに仕上げたトヨタは凄いです。レースでもホンダのエスロクと熾烈なデッドヒートを繰り広げました。
 この脱着式のルーフ、ポルシェ911に習ってタルガトップと呼ぶ方が多いんですが、実はポルシェより早く登場してるんです。ちなみに空冷エンジンの為、エンジンルーム内に室内暖房用のストーブが付いてるんですよ。



No.12 1965年式 アストンマーティン DB5

泉山 信兒・泉山 美由樹ペア

車両解説

 さあ、昨シーズンのウィナーの登場です!
 言わずと知れた映画『007』のボンドカーですね。『ゴールドフィンガー』の他も数回登場しています。また、映画『キャノンボール』にもロジャー・ムーアのマシンとして登場しています。
 アストン・マーティンといえばイギリス本国でも貴族階級の人しか買えないくらいもうべらぼうに高い車なんですが、現在に至るまで生産工程の大半を熟練した職人さんが1台1台手作業で行っているという事で採算はあまり重視していないそうです。
 器用貧乏と言いますか、さすが英国と言いますか……しかしそういう所がアストンの持つ風格に表れているんだと思います。



No.10 1964年式 ポルシェ 356SC カブリオレ

大友 進・大友 夕子ペア

車両解説

 1900年代から30年代にかけて自動車史に残る傑作車を多数生み出した設計者であるフェルディナント・ポルシェ博士。ダイムラーやシュタイアといったメーカーに所属した後、独立。1931年に設立されたデザイン事務所がポルシェ事務所です。
 戦後になって息子のフェリー・ポルシェらによって356が送り出され、自動車メーカーとして再スタートします。
 プレA型から、A型、B型、C型と進化し、デザインでは特にフロントバンパーがだんだんと上に上がってきて、後の911への移り変わりを感じます。



No.09 1963年式 トライアンフ TR4

菊池 洋・菊池 京子ペア

車両解説

 トライアンフのTRシリーズの中で一番人気があるのが通称「トラよん」と呼ばれるこのTR4ではないでしょうか?
 これまでのTR1からTR3までとは大きく印象が変わりまして、同時期に販売されていた「ヘラルド」や「スピットファイア」と同様イタリアのミケロッティがデザインしたモダンなスタイリングが特徴、ブリティッシュスポーツカーの王道と言えるMGと対極にありました。
 トライアンフの4輪車部門は1984年に100年に及ぶ歴史に幕を閉じてしまったのが残念ですが、最後のトライアンフであるアクレイムというクルマはホンダ・バラードの兄弟車だったんですよ。



No.08 1959年式 フィアット Nuova500

澁澤 哲郎・木口 暢夫ペア

車両解説

 1936年に発売された初代チンクエチェントは、戦前・戦後を通じて約60万台が生産され大きな商業的成功を収めましたが、2人乗りであったことがネックでした。
 こちらは1957年に発売された2代目のモデルで、「ヌォーヴァ」は英語の「ニュー」の意味です。初代より小さなボディで4人乗りを達成し、以後1977年まで20年間の長期に渡り約400万台も生産された戦後イタリアを代表するクルマです。
 ちなみに映画「ルパンⅢ世 カリオストロの城」でルパンが乗っていたことで有名ですが、崖から落ちそうになってもガードレールを伝って路上復帰するのは非常に危険ですので、絶対にマネしないで下さい。



No.07 1958年式 BMW 600

遠藤 俊行・千葉 清秀ペア

車両解説

 第二次大戦後、経済的に苦しかったドイツで大ヒットしたのがバブルカーと呼ばれる超小型車でした。その一つであるベー・エム・ヴェー イセッタを発展させたのがこの600です。
 とかなんとか喋るよりドアを開けていただきましょう!どうですか、冷蔵庫みたいでしょ。これを見ただけで微笑ましくなる、とても魅力的なクルマです。
 残念なことに1960年代になると経済も安定してきたこともありあまり売れなかったんですが、今でも熱狂的なファンが世界中にいるんですよ。



No.06 1956年式 ルノー アルピーヌ A106
ミッレミリア

中村 和幹・中村 空剛ペア

車両解説

 1956年、フランスのレーシングドライバーであり、ルノーのディーラーを経営するジャン・レデレが設立したのがアルピーヌです。
 そして最初の市販モデルとしてこのクルマがデビューしました。レースで培ったノウハウをもとにルノー4CVをベースとしFRPのボディを被せました。ボディデザインはイタリアのジョヴァンニ・ミケロッティ。日本でも馴染み深いデザイナーですね。
 ルノーから部品や販売などのサポートを受け、また自国製スポーツカーに飢えていたフランスのアマチュアドライバーからの支持もあった為、当時としては成功したモデルとなりました。



No.05 1952年式 S.A.A シトロエン 11CV

伊勢 義信・平井 行宏ペア

車両解説

 実はこのクルマ、1934年から生産されているんです。その割には新しく感じませんか?さすがフランス車、さすがシトロエンですよね。
 しかもスタイルだけではないんです!トラクシオン・アヴァン、つまり前輪駆動を世界でも最も早い時期に採用しています。まるで応接室のソファのようなシートの座り心地も絶品です!
 シンボルマークの2つのくさび形の由来は、元々シトロエンが機械の歯車を製造していて、山型の歯を持つダブルヘリカルギアを開発した事がルーツとなっています。



No.04 1950年式 オースチン A90 アトランティック
コンバーチブル

中島 龍成・植中 慎次ペア

車両解説

 アトランティックとは「大西洋」という意味です。その名が示すように海を渡り、戦勝国とはいえ財政の厳しかったイギリスに外貨をもたらすことを目標として開発されました。
 英国車としては異例に豪華なコンバーチブルであり、標準で電動トップやパワーウインドを備え、エクステリア・デザインはアメリカ人に好まれるであろう派手さが盛り込まれました。
 例えばポンティアックになんとなーく似てるボディセンターに付けられたメッキモール、タッカーになんとなーく似てる中央にフォグを持つ3灯ライト、ふくよかなボディラインとスパッツを付けた後輪などが目を引きますね。